大判例

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岡山地方裁判所 昭和56年(わ)739号 判決

会社員

甲野一郎

無職

乙原二郎

右両名に対する各傷害被告事件について、当裁判所は、検察官山本弘出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人甲野一郎を罰金三万円に、被告人乙原二郎を罰金五万円に各処する。

被告人両名においてその罰金を完納することができないときは、それぞれ金二、〇〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人両名は、昭和五四年三月二二日岡山県倉敷市玉島乙島八、二三〇番地所在の住友重機械工業株式会社玉島製造所を指名解雇され、その後同製造所の全日本造船機械労働組合玉島分会の組合員らとともに右指名解雇処分の撤回要求の闘争を続けていたものであるが、同年七月二〇日午後五時三〇分過ぎころ、被告人らが右製造所正門付近の会社掲示板に立てかけていた立看板を同製造所人事課員田岡寛(昭和二二年一一月一二日生)が移動させようとした際、同人と被告人甲野一郎(以下「被告人甲野」という。)とで右立看板の引っ張り合いとなり、右立看板が壊れたことに立腹し、

第一  共謀のうえ、同日午後五時四〇分ころ、同製造所構内において、右田岡に対し、被告人甲野において、同人の胸倉をつかんで持ち上げ、右前腕を引っ掻き、左手首を引っ張り、被告人乙原二郎(以下「被告人乙原」という。)において、右田岡の後方からその腰あたりに抱きつき、膝で同人の臀部を数回蹴りつける暴行を加え、よって同人に対し、全治約八日間を要する右前腕、左手関節擦過創、臀部打撲の傷害を負わせ、

第二  被告人乙原は、右同日同時刻ころ、右同所において、右田岡に対する暴行を制止しようとした同製造所人事課員浅田高司(昭和六年一一月二七日生)に対し、同人の左膝付近を足蹴にし、その肩付近を両手で突いてその場に転倒させる暴行を加え、よって、同人に対し、全治約八日間を要する右手背打撲、腰部打撲の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)…略

(主張に対する判断)

一  当事者の主張

1  検察官の主張

被告人両名の判示第一の犯行は、全日本造船機械労働組合玉島分会(以下「分会」という。)の組合員数名と共謀のうえなされたものである。

2  弁護人の主張

被告人両名が被害者田岡寛(以下「田岡」という。)及び浅田高司(以下「浅田」という。)に対して判示のような暴行を加えた事実はなく、また、判示のような傷害を負わせた事実もない。

事実は、田岡が判示立看板を地面に叩きつけて壊したため、被告人両名がこれに抗議し、その際、被告人甲野が右手で田岡の半袖作業シャツの胸襟をつかみ、更にその後、分会員の橘照彦(以下「橘」という。)及び被告人乙原と共に田岡の所持していたカメラを取り上げるべく、同人の指を解いたり、手首を離すようにしたりし、また、被告人乙原が田岡から右カメラを取ろうとしてその手首を引っ張り、浅田から肩を叩かれたためその手を払いのけたに過ぎないものであって、被告人両名は判示のような暴行は加えておらず、また、田岡及び浅田に生じた各傷も判示のようなものではなく、極めて軽微なものであった。ひっきょう、被告人両名の右各行為は未だ刑法二〇八条にいう「暴行」すなわち「不法な有形力の行使」にはあたらず、右の各傷も刑法二〇四条にいう「傷害」にはあたらないものである。

仮に然らずとするも、被告人両名の右各行為は、正当行為として違法性を欠くかあるいは可罰的違法性を有しないものである。

なお、本件公訴の提起は、公訴権の濫用にあたるから棄却されるべきである。

二  当裁判所の判断

1  認定事実

前掲各証拠によれば、次の事実が認められる。

(一) 被告人甲野は、中学校卒業後、昭和三二年四月浦賀玉島ディーゼル工業株式会社に養成工として入社し、以後同会社の工員として稼働するようになった。同会社は、昭和三七年に浦賀船梁株式会社と合併して浦賀重工業株式会社となったが、被告人乙原は、昭和四三年九月右浦賀重工業株式会社に臨時工として採用され、同年一二月に同会社の正社員となり、以後同会社の工員として稼働するようになった。右浦賀重工業株式会社は、昭和四四年六月住友機械株式会社と合併して住友重機械工業株式会社(以下「住友重機」という。)となり、以後、被告人両名は、住友重機玉島機械事業部玉島製造所(以下「玉島製造所」という。)の工員として稼働していた。

(二) 被告人両名は、玉島製造所において、総評系の前記全日本造船機械労働組合玉島分会に加入し、同分会の組合員として活動していたところ、昭和四六年九月同分会が分裂し、分会のほかに同盟系の全国造船重機械労働組合住友重機械支部が結成されたが、その際にも右分会に止まって活動を続けていた。分会は、分会の分裂やそのころ同製造所従業員に対して行われた研修が、住友重機の使用者側(以下「会社側」という。)が分会つぶしを狙って行った分会弱体化策であるとして、会社側に対する反発を強めていった。

(三) 会社側は、昭和五三年一一月経営改善計画を分会など同会社各労働組合に呈示したが、同計画が全社で約二、〇〇〇名に上る従業員の削減案を含んでいたため右計画の受諾をめぐって労使の交渉は難航し、会社側は、昭和五四年一月分会など総評系三組合との交渉を打ち切った。その後、会社側は、玉島製造所において、昭和五三年一二月に発表済みであった勇退基準に該当すると判断される者の退職を勧奨し、昭和五四年三月六日右基準に該当するとされながら退職に応じない従業員に対して退職通知を発し、同月二二日右基準に従って被告人両名を含む一七名の従業員を指名解雇した。

(四) 分会は、右指名解雇の対象となった者がいずれも分会員であったことから、右指名解雇処分は会社側が分会の組織を攻撃するために行った不当な処分であるとして同処分の撤回闘争に入り、被告人両名ら被解雇者が岡山地方裁判所へ地位保全の仮処分を申し立てると共に、同年六月上旬に玉島製造所正門付近にテント小屋を建て、被解雇者が中心となって同所における座り込みを実施した。また、分会は、同月一〇日同製造所グランド内で外部支援団体も参加する集会を開催し、同年七月一三日ころからは同製造所正門保安詰所(以下「詰所」という。)横に設置してある会社の掲示板(構内に入ろうとする運転者に安全帽の着用等を指示するもの。以下「掲示板」という。)に指名解雇処分の撤回を求めるステッカーを貼付し、あるいはこれに立看板を立てかけるなどし、また、右テント小屋前の正門前路上に車両進入禁止区域を設けるなどした。これに対し、会社側も、分会に対し右ステッカー等の除去を申し入れたり、同製造所の人事課員に右ステッカー等を取除かせるなどしてこれに応じたことから、会社側と分会との対立が深まり、被告人両名ら分会員は、会社側の態度に対する憤懣の情を強めていった。

(五) このようななかで、指名解雇処分を受けた被告人両名及び橘、東山らは、同年七月二〇日午後四時五〇分ころから、右正門前付近で退社する同製造所従業員にビラを配ったのち、同日午後五時一〇分ころから、同じく解雇処分を受けた樋口昌弘(以下「樋口」という。)及び同磯崎雄二(以下「磯崎」という。)と共に右テント小屋内で座り込みを続けていた。一方、同製造所人事課員で労務等の担当者である田岡寛(以下「田岡」という。)は、同製造所人事課長堀内浩二(以下「堀内課長」という。)から、前示のとおり被告人両名らが車両進入禁止区域を設け、これに対して会社側がその除去を申し入れていたため、退社時における正門付近の様子を見てくるよう指示され、同じ人事課員で労務等の業務の補助者である浅田高司(以下「浅田」という。)と共にカメラを持って人事課事務所を出、同日午後四時五〇分ころ詰所に入り、浅田や同所にいた同製造所人事課保安係員武縄恭男(以下「武縄」という。)と共に被告人両名らのビラ配りの様子を見ていたが、ビラ配りの終わった同日午後五時一〇分ころ、分会のスローガンの書かれた木製の立看板(以下「本件立看板」という。)の脚が掲示板前に置かれたコンクリートブロックの穴に差し込まれて掲示板前に立てられているのを発見し、堀内課長に二回電話をして右立看板の処置につき同課長の指示を仰いだところ、同課長ないし人事課鈴木主査から、本件立看板の置かれている場所が社有地か市有地かはっきりしない以上写真撮影をするに留めて人事課事務所に戻るよう指示されたので、同日午後五時三〇分ころ、浅田と共に詰所を出て本件立看板前に至り、これを前記のカメラで撮影しようとしたところ、橘がすかさず前記テント小屋から出て来て本件立看板をテント小屋の方へ引っ込めたため、やむなく右ブロックの様子等を撮影して詰所へ帰ったものの、その後本件立看板が再び持ち出されて掲示板に立てかけるようにして置かれているのを認めたため、本件立看板を移動させるべく掲示板前まで行き、本件立看板の縦の垂木に手をかけたところ、右田岡の行動を見た被告人甲野が右テント小屋から飛び出して来て自らも本件立看板のもう一方の縦の垂木を持ったので、田岡と同被告人とが本件立看板の引っ張り合いとなり、遂に本件立看板は縦の垂木二本がベニヤ板からはずれて損壊するに至った。

(六) 田岡は、右のとおり本件立看板が損壊するに至ったため、分会員との紛争を避けるべくその場を離れ、正門から同製造所構内に入ろうとしたが、詰所北側正門前付近で被告人両名並びに橘、東山、樋口及び磯崎に取り囲まれ、被告人両名らから本件立看板を損壊したとして抗議された。しかし、田岡は、被告人らに構わずに正門から構内に入り、詰所西側の自転車置場に置いていた自転車に乗り、前記カメラをその前かごに入れて人事課事務所の方へ向かい、浅田も徒歩で田岡に付いて事務所に向かった。

(七) 被告人甲野は、田岡が正門より構内に入ったため、やむなく他の分会員と共に一旦掲示板前まで戻ったが、同所で壊れた本件立看板を見ているうちに田岡に対する怒りが高じ、また、このまま田岡を謝罪させずに帰しては後で他の分会員からその行為を詰問されるとも考え、同人に謝罪させるべく同人のあとを追って構内に入り、同被告人のすぐあとに橘及び被告人乙原が続き、少し遅れて磯崎及び樋口も構内に入った。被告人甲野及び橘は、同製造所構内の詰所から約八メートル西側の地点で田岡に追いつき、同人の自転車の前に立ちふさがって、これを止めたうえ、「おどりゃ、ぶちめぎゃがってどうするんなら」などと言い、被告人乙原において所携の垂木を右自転車の後輪のスポークの間に差し込んだうえ「なんでめぐんなら。」などと言い、橘において右自転車の前かごに入れてあった前記カメラを取り上げようとして手を伸ばした。田岡は、これに対して、右カメラを取られまいとして同自転車のハンドルを放して両手で右カメラをつかんだが、そのとき右自転車が倒れたので、右カメラを持って更に南側へ逃げようとし、その際、右カメラをとろうとする橘ともみ合いとなった。

(八) 被告人甲野は、この間一旦その場を離れ付近にいた樋口に対し他の分会員に連絡するよう指示した後、再び橘ともみ合っている田岡のところに戻り、同所において、右手で同人の胸倉をつかんで持ち上げ、更に、同人の持つ前記カメラを取り上げるべく、カメラを取られまいとする同人の右前腕を引っ掻き、あるいは同人の左手首を引っ張る暴行を加え、被告人乙原は、右同所付近で、田岡の後方から同人の腰あたりに抱きつき、膝で同人の臀部を数回蹴りつける暴行を加えた。続いて、被告人乙原は、右暴行を制止しようとして田岡の方へ向かって来た浅田に対し、右同所付近で同人の左膝付近を蹴り、両手で同人の肩付近を突いてその場に転倒させる暴行を加えた。その後、樋口と磯崎とが「やめろ。」と言って制止したことから、被告人両名及び橘はテント小屋の方へ引き上げ、田岡と浅田は人事課事務所に帰った。

(九) 田岡と浅田は、同日午後六時一五分ころ、玉島中央病院において医師高越良明の診察を受け、その際、同医師から、田岡は右前腕、左手関節擦過創、臀部打撲により全治約五日間の加療を要する旨の診断を、浅田は右手背打撲、腰部打撲で同じく全治約五日間を要する旨の診断を受け、また、田岡と浅田は、同月二五日及び同月二六日にも同病院で医師の診察を受け、同月二六日同人らの診察にあたった医師津村眞から、共に前記の病名で全治まで引き続き約三日間の加療を要するとの診断を受けた。

以上の事実が認められる。

2  検察官の主張に対する検討

検察官は、前記のとおり、本件判示第一の犯行は、被告人両名が氏名不詳の他の分会員数名と共謀のうえ行ったものである旨主張する。しかし、前掲各証拠によるも、被告人両名と本件現場に居合わせた橘、樋口、磯崎及び東山との間に田岡に暴行を加えるについての明示又は黙示の共謀があったと認めるに足りない。もっとも、前掲各証拠によれば、橘は被告人甲野と共に田岡からカメラを取り上げようとしており、被告人両名と行動を共にしていたことは認められるが、しかし、橘が田岡に対して暴行を加えた事実までは認められず、また、本件発生に至る経緯、態様等の事情に鑑みると、被告人両名と橘との間に田岡に暴行を加えるについて黙示の現場共謀があったものと認めるのは困難である。検察官の右主張は採用できない。

3  弁護人の主張に対する検討

(一) 本件立看板の損壊原因について

弁護人は、本件立看板は判示認定のように田岡と被告人甲野とが引っ張り合って壊れたものではなく、田岡が地面に叩きつけて壊したものである旨主張し、被告人甲野も、公判廷において、「田岡がブロックに差し込んでいた本件立看板を両手で引き抜いて、自分の右横の方の路上に叩きつけて壊した。」旨供述している(第二七回公判)。

しかし、証人田岡は判示認定に沿う証言をしているところ、証人浅田及び同武縄も同旨の証言をしていること、そして、当時、田岡は、前認定のとおり堀内課長から本件立看板を撤去することなく写真撮影をするに留めて人事課事務所に帰って来るよう指示されていたこと、本件立看板が損壊した現場は前記テント小屋前であって、右テント小屋には当時被告人両名を含めて六名の分会員がいたこと、田岡は、本件前に数回掲示板に立てかけられた分会の立看板をテント小屋の方に移動させたことはあるが壊したことはないこと、以上の事実が認められる。これらに徴すると、たとえ、田岡が分会を嫌悪しており、また、橘が一旦テント小屋の方に引っ込めた本件立看板が再び持ち出されことさら掲示板に立てかけられてこれを見た田岡が内心不快の念を抱いて立腹したとしても、同人がわざわざ被告人ら分会員の見ている前で本件立看板を地面に叩きつけて壊し、指名解雇をめぐって分会と対立中の会社側に不利益を及ぼすような行為に出ることは、田岡の人事課員としての立場やそれまでの同人の言動からして到底考えられないところであり、田岡が本件立看板を地面に叩きつけて壊したと認定するにはなお躊躇を感じざるを得ず、被告人甲野の前記供述はにわかに措信し難く、やはり、本件立看板は、田岡と被告人甲野とが引っ張り合いになったことにより損壊するに至ったものと認定するのが相当である。

確かに、田岡と被告人甲野とが引っ張り合っただけで本件立看板が損壊したというのは不自然であるとの弁護人の主張には、弁護人奥津亘作成の立看板損壊実験報告書等に徴しこれを一概に排斥し得ない面もあるが、しかし、右の点を考慮しても、なお前記認定をくつがえすには足りないというべきである。

(二) 被告人両名の田岡に対する暴行及び被告人乙原の浅田に対する暴行の有無について

弁護人は、被告人両名が田岡に対してまた被告人乙原が浅田に対して判示認定のような各暴行を加えた事実はない旨主張し、被告人両名も、公判廷において同旨の供述をしている。

しかし、証人田岡は判示第一の認定に沿う供述をしており、証人浅田も、「田岡は、前からは被告人甲野後ろからは被告人乙原に抱きつかれており、被告人乙原は、田岡の腰のあたりを両手で抱いて、膝蹴りで尻の方を四、五回か、五、六回蹴っていた。」、「被告人乙原は、自分が近づいて行くと、自分の左膝の上のあたりを右足で蹴り上げて来、更に、両手で自分の鎖骨、肩のあたりを突いて来たため、自分は右側に倒れてしまった。」旨証言しているところ(第一一回公判)、被告人甲野も、公判廷において、「自分は、『田岡待て。』と言って少し早足で追いつき、田岡の胸ぐらを右手で持った。」、「樋口のところに行って、みんなを呼んで来るように言った後、再び田岡のところに戻ったところ、位置が少し南の方に移動しており、そこで橘と被告人乙原が田岡ともみ合っていたので、自分もこれに加わった。」、「自分は田岡のカメラを取ろうとして、田岡が両手でカメラを持っていたので、その手の指を解くようにし、あるいは田岡の手首を離すようにした。」旨供述しており(第二七回公判)また、被告人乙原も、「自分は田岡のカメラを取るのに夢中だったが、誰か肩を叩いたり引っ張ったりするので、見ると浅田だったので、その手を払いのけた。」旨供述しており(第二八回公判)、更に、同じ分会員である証人樋口も、「被告人両名及び橘は手を伸ばして田岡の持っているカメラを奪うような動作をしていた。」、「田岡がカメラを両手で抱え込むようにして持っているのを、被告人甲野あるいは橘、被告人乙原が、カメラの紐を引っ張ったり、カメラをつかんでいる田岡の指をほどくような動作をしていた。」、「被告人乙原は浅田の手を払いのけるような仕草をし、その際浅田は後ろ向きに尻もちつくような形で転んだ。」旨証言している(第二二回公判)。これに、後記のとおり本件直後田岡及び浅田には判示のような受傷がみられたこと、被告人らはわざわざ田岡を追いかけて玉島製造所構内まで入っていること等を併せ考えると、前記証人田岡及び同浅田の証言は、判示認定に沿う限度で十分に措信できるというべきである。

確かに、弁護人主張のとおり、証人田岡は、その半袖作業シャツ(昭和六〇年押第三五号の一)の右脇の破れが本件前から生じていたにもかかわらず生じていなかったと証言したり、また、その証言には多少オーバーなところがないわけではないが、これらの点や弁護人指摘のその余の点を考慮しても、なお証人田岡及び同浅田の前記証言は措信でき、判示事実は優に認定できるというべきである。

なお、被告人両名の判示各暴行が「不法な有形力の行使」にあたり、刑法二〇八条の「暴行」にあたることは明らかである。

(三) 田岡及び浅田の傷害の有無について

弁護人は、田岡及び浅田の傷は、決して全治までに八日間を要するというものではなく、通常ならそのまま放置される程度の極めて軽微なものであった旨主張する。しかし、第一九回公判調書中証人津村眞の供述部分、証人高越良明に対する受命裁判官の尋問調書、押収してある診療録二通(前同押号の三及び四)、高石祐次撮影の写真九枚のうちNo3ないし5によれば、前記1(九)の事実を認めることができ、田岡及び浅田はいずれも判示のとおり全治まで約八日間を要する傷害を負ったことを認定することができる。弁護人は、津村医師や高越医師の各診察診断や診療録の記載は、田岡や浅田の誇張した訴えに影響されたものであって、その信用性には疑問がある旨主張するが、しかし、右診断はいずれも専門家である医師の判断に基づいてなされたものであって、特にこれに疑いを差し挾まなければならない特段の事由はなく、更に、田岡の右前腕及び左手関節の外傷は右写真によっても確認できることに徴すると、弁護人指摘の点を考慮しても、なお右各証言及び各診療録の記載は措信できるというべきである。

なお、田岡及び浅田が被った判示の各傷害が刑法二〇四条の「傷害」に該当することも明らかである。

(四) 正当行為等の主張について

弁護人は、被告人両名の本件行為は、憲法で保障された労働者の団体行動権の行使としてとらえられるから、刑法三五条の正当行為として違法性を欠き、あるいはその行為の目的、態様、生じた結果等からみて可罰的違法性を有しないものである旨主張する。しかしながら、被告人両名が田岡らに暴行を加えるに至った経緯は前記1のとおりであり、その態様も、前記のとおり分会員との紛争を避けるために人事課事務所へ戻ろうとする田岡らをわざわざ追いかけ、田岡からカメラを取り上げようとしてその際同人らに暴行を加えたものであり、しかも田岡らが被った傷害の程度も全治まで約八日間を要するものであったことに徴すると、被告人両名の判示各行為が正当行為として違法性を欠きあるいは可罰的違法性を有しないものといえないことは明らかである。

(五) 公訴棄却の申立てについて

弁護人は、本件公訴の提起は、本件が看過できる程些細な事件であるにもかかわらず住友重機に加担してなされた恣意的、差別的なものであり、公訴権に内在する検察官の合理的裁量の範囲を著しく逸脱してなされたものであると共に、事件後約二年四か月を経過して突如なされたものであって憲法三一条の適正手続にも違反するものであるから、公訴権の濫用にあたり、棄却されるべきである旨主張する。確かに、被告人両名は本件直後に逮捕されているのに本件公訴の提起がなされたのはその約二年四か月後であり、何故かように時日を要したかについて首肯し得るに足りる事情を見出し難いことはまことに遺憾というほかないが、しかし、検察官の訴追裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめるのは、例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような権限的な場合に限られると解すべきであり(昭和五五年一二月一七日最高裁判所第一小法廷決定)したがって、本件公訴の提起は未だ公訴権の濫用にあたらないというべきである。

(六) 以上のとおりであって、結局、弁護人の主張はいずれも採用することができない。

(法令の適用)

被告人両名の判示第一の各所為はいずれも刑法二〇四条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人乙原の判示第二の所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、各所定刑中いずれも罰金刑を選択し、被告人乙原について、判示第一及び第二の罪は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪所定の罰金額を合算し、各金額の範囲内で被告人甲野を罰金三万円に、被告人乙原を罰金五万円に各処し、被告人両名において右罰金を完納することができないときは、同法一八条によりそれぞれ金二、〇〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人両名に連帯して負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、住友重機玉島製造所の従業員で、全日本造船機械労働組合玉島分会の分会員であった被告人両名が、会社より指名解雇処分を受け、他の指名解雇を受けた分会員と共に同製造所正門付近のテント小屋に座り込むなどして右解雇処分の撤回闘争を行っていた際、同製造所人事課員で労務担当の被害者田岡が同製造所正門付近の会社掲示板に立てかけてあった分会の本件立看板を移動させようとして被告人甲野と引っ張り合いとなり、このため右立看板が損壊するに至ったことから、他の分会員と共に同人を追いかけたうえ、同人及び同人に同行していた同じ人事課員の浅田に対し判示各暴行を加えてそれぞれ全治まで約八日間を要する判示の傷害を負わせたという事案である。当時被告人両名が結果的には後の仮処分決定によって否定された指名解雇処分を受けていたとはいえ、その犯情は決して芳しくないのであって、本件は必ずしもこれを軽視することはできないのである。

しかしながら、本件により被害者らの被った傷害の程度は比較的軽微なものであり、また、本件の発端となった本件立看板の損壊には被害者田岡も多かれ少なかれ関与していたものである。しかも、本件後の昭和五四年七月三一日に岡山地方裁判所がした仮処分決定により、被告人両名は住友重機の従業員としての仮の地位が認められ、被告人乙原については、その後会社側と分会との間で本件指名解雇について和解が成立している。更に、被告人両名には何らの前科もなく、本件が事件発生後約二年四か月を経て初めて起訴されるに至ったものであること等の諸事情を考慮すると、被告人両名に対してはこの際罰金刑を選択するのが相当と思料される。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邊宏 裁判官 原田敏章 裁判官 岩倉広修)

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